妻と最期の10日間

書評

フォトジャーナリストの桃井和馬さんによるノンフィクション。たまたま、参加する機会のあった新宿の賢者屋でやってた石川梵さんとのトークセッションをきっかけに、帰り道にすぐに購入。2人の話はあまりに魅力的だった。

元気で働き者で、しっかり者の妻が、ある日突然倒れて、そのまま意識が戻らないまま亡くなってしまう。そんな嘘みたいなが突然、起こったとき、世界中で多くの「死」を目にしてきた筆者でさえも脆くもボロボロになってしまう。

読んでいて、胸が詰まる思いがした。そして、「死」について、これまでになく考えさせられた。本書では、妻が最期に向けて少しずつ進んでいく「現在」と、筆者が妻の生前に目の当たりにしてきた様々な「死」そして、妻との時間について記した「過去」が交互に展開される。

世界の紛争地域を、辺境の地を、災害後の壮絶な光景を誰よりも多く目にしてきたはずの筆者でも「身近な人の死」はすぐには受け入れられなかった。この事実が僕には最初、ちょっとわからなかった。けど、読み進めているうちに、筆者は多くの「死」を見てきたからこそ、誰よりも「死」について考えてきたからこそ、どこか「死」が非現実的なものになっていて、いざ、真の当事者として「死」と向き合った時に大きく苦しんだのだと考えるようになった。

普通の人にとっては「死」は身近な人との別れであることがほとんどだと思う。たとえば、僕にとっての「死」はおばあちゃんと2度と会えなくなること。小っちゃい時に可愛がってもらったお隣さんがいなくなってしまうこと。誰でもいつかは「死ぬんだよな」と心で思いるから、その時は悲しいけど、まもなく受け入れる。しかし、彼にとっては少し違うんだと思う。

紛争で、災害で、圧倒的に多くの「死」を見てきた。故に彼にとって、妻と過ごす日常は圧倒的に「生」だったんだと思う。非日常が日常的なジャーナリストとしての彼にとって、妻がいる平和な生活が、僕らとはちょっと違って感じられていたんだと思う。だからこそ、妻を失ったとき、彼にとっての安息が一気に崩れてしまい、彼は信じられないほどに動揺したんだと思う。

想像に過ぎないし、自分も同じ境遇になった時には考えが変わるかもしれないけど。久々にいろんなことを考えた。「ファインダー越しの3.11」といい、フォトジャーナリストの本は、心に刺さる。

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