嫌われる勇気(著:岸見一郎・古賀史健)

妻、やっと書きます。

パンデミック、ジョージ・フロイドの死から始まった大規模デモ、そしてアメリカ大統領選挙と歴史に残る2020年が終わり、ワクチン接種等の明るい希望が見えた矢先に昨今のアジア人に対するヘイトクライムの明らかな増加。同じアジア人女性が街でいきなり蹴られ殴られ殺される動画を沢山見てしまいました。(Netflixの ‘The Social Dilenma’を見てからというもの、SNSを使う時間は大幅に減っていたのですが…。余談ですが見てない方は是非見て欲しいです。SNSとの付き合い方が大きく変わると思います。)

アメリカに住む身としては、もう1人で歩くの怖いなぁとか、これから世界はどうなってしまうんだろうとか、とにかく最近暗い気持ちになってしまうことが多かったので、今回約7年前に自分で買った「嫌われる勇気」を手にとって読んでみました。

本当に捨てなくて良かった…と心の底から読み終わった今思っています。実は私、この本を7年前に「話題になってるから…」と買ったものの途中で挫折し本棚に眠らせていました。なので、少し読んだことあるけどあんまりだった…と思う人もこのブログを読んでまた眠っている本棚の中から引っ張り出して読んでみようかな、と思ってもらえるような記事にしたいと思います。

1. こんな人におすすめ

  • 周りからどう見られているか、思われているかが嫌でも気になってしまう
  • 人から褒められたい、人に好かれたいということを優先して自身が疲れている
  • 他者からの評価を気にして、自分の考えを言えない
  • 過去に大きなトラウマ的な出来事がある
  • 過去に適応障害等、メンタルヘルスを崩されたことがある

⇒ この本で紹介されているアドラー心理学を無意識に実践できている方も中にはいるので、そういう方には本書に登場する「青年」の苦しみを理解しにくく、合わない可能性があります。とは言え、常識を覆すアドラー心理学の矛盾をどうにか解こうとする「青年」の気持ちに共感できる人は老略男女多いと思います。(だからベストセラーなんですよね、偉そうにすみません笑)

2.本書の概要

本の構図はアドラー心理学によって「世界はどこまででもシンプルであり、どんな状況下にいる人も’いま’から幸せになれる」と説く「哲人」に対し、「世界は責任の押しつけあいや差別、戦争、格差など、矛盾に満ちた混沌だ」と感じている「青年」が反論していくところから始まる対談形式です。

タイトルから想像されるような単に嫌われる勇気をどうしたら持てるか」のような自己啓発本ではなく、極めて読みやすい小説調にした立派な哲学書でした。

「哲人」の話すアドラー心理学は最初はありえない話のように聞こえます。

  • 過去のトラウマ(いじめや虐待など)が’原因’で引きこもりや鬱病になった人に対し「外に出たくないという’目的’を果たすために不安という感情を作り出し、その理由(トラウマ)を付けている」という目的論を展開
  • 「私は〇〇(鬱や持病・過酷な環境等)だからできない/変われない」と言っている人は自身で「自分は変わらない」と決心している
  • 他者を仲間と見なし、無条件に信頼すべき
  • 褒めるということは「支配する」こと
  • 承認欲求を否定

など、まだまだありますが、パッと思い出しただけでも強烈な内容です。

皆さんはこれに対し「いやいや…」と思うかもしれません。勿論その私たちの声を青年が代弁し強く反論してくれます。しかし、哲人の一貫した理論を聞いていると「確かに…」となっていきます。更に「確かに私もあの時…」と自身の苦い経験をアドラー心理学と照らし合わせると、どんどんのめり込んでいきます。

3.本書を通じて得たこと

アドラー心理学は哲人の言う様に「劇薬」で、本を一周読んだだけでは理論に納得できても実践は難しいです。実際私が今年で30歳になるので本当に理解して生き方までを変えるのには15年くらいかかるそうです。(ご自身の年齢の半分くらいの年数がアドラー心理学を学び実践する上で必要とされる期間だそう)

なので本書を通じて得たアドラー心理学の中でも私が個人的にこれから実践していきたいと思うことをまとめます。因みに私は過去、過食症・適応障害による休職も経験済みの「意外と」メンタル弱めな人間なので、同じように周りには元気だと思われるけど、本人は苦しいと感じている方の参考になるといいな、と思います。

 課題の分離

アドラー心理学の前提として、「全ての悩みは対人関係にある」と断言しています。これはつまり「宇宙に自分1人だけしか存在していなかったら悩みなど起こり得ない」ということで、他の人がいるから「違い」が生じ、結果として悩みが生じる。これについては個人的にスッと納得できました。個人が感じる劣等感にしても、社会に生じる差別も他者が必ず存在しますよね。

では、どうしたらその対人関係で悩まなくなるのか。その入り口として必要になるのが「課題の分離」という考え方で、常に「これは誰の課題なのか」という観点を持つことが必要だと哲人は言います。引用すると「あらゆる対人関係のトラブルは他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることにある」と言っています。

分かりやすい例として、子供が勉強しない時に親が「勉強しなさい」と命令をするのは他者(子供)の課題(勉強するかしないか)に介入しているとあげています。課題は「その選択によってもたらされる結果を最終的に誰が引き受けるのか」を考えると誰の課題かが定まります。上記の例だと、勉強をしないことで将来的に知識を得られないという結果は子供が引き受けるので子供の課題だということです。この例では、もし子供が勉強したいがやり方がわからない等、助けを求められた時いつでも援助出来る用意をしておくべきだが、勝手に口出しをしてはいけないと補足もしてます。

もう一つ例をあげると、私みたいな究極の気にしい野郎は「こんなこと投稿したら、どう思われるだろう」など、しょうもないSNSにも気にしすぎてしまう癖があります。アドラー心理学でいうなら、これも私が他者の課題が介入しているから生じるものだそうです。私の投稿を見てどう考えるか・どう思うかというのは「他者の課題」であるからです。そこに私が介入し操作できるものではないのに、無駄に介入して悩んでいるのです。「他者は操作できない(≒変えられない)」「自分を変えるのは自分だけ」と確かにシンプルに考えれば当たり前のことですが、小さなことに悩んでしまう私はこれから「課題の分離」は意識していこうと思います。

② 縦の関係ではなく横の関係を築く

哲人は「人は皆、立場は違うが、意識の上では対等であるべき」と言います。勿論職場の上司、学校の先生等、立場的に上の人がいたとしても、対等であるという意識を忘れてはいけないと。青年はすかさず「友人は対等に振る舞えるが、年齢も立場も上の人を対等に見るのは無理だし、傲慢だ」と反論します。哲人は青年に「それは無意識に友人のことも上下関係、つまり縦の関係で見ている。人は対人関係を横に築く(≒対等であると考える)か、縦に築く(≒上下関係で考える)か切り替えるほど器用ではない。」と悟ります。

前述した子供が勉強しない時に「勉強しなさい」と他者の課題への介入を親が当たり前にしてしまうのも子を下に見ている典型例だと指摘しています。

無意識に友人を縦の関係でみているというのは「Aさんには早く連絡しないと」「Aさんのアドバイスは聞くけどBさんの話には耳を貸さない」というAさんは自分より上、Bさんは自分より下と無意識に判断してしまっていることです。個人的に耳が痛い話でした。何故なら元々私は先輩や上司などの年上の方とのお付き合いに苦手意識を持っていました。どうしても気のおける同級生の友人より気疲れしてしまうなぁと感じていましたが、確かに友人とも縦の関係で、上記のように考えてしまってたなぁと思います。

立場や職責は違うし、他者への敬いもすべきだけど「自分と対等だ」という意識を持ち横の関係を築いていきたいと思えました。

③ 「人生の調和」を欠いた生き方をしない

「人生の調和を欠いた生き方」とは「どうでもいいはずの1部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価してしまう生き方」です。ユダヤ教の教えに「10人の人がいるとしたら、1人はどんなことがあってもあなたを嫌い、批判する。2人は互いに全てを受入れ合える親友になれる。残りの7人はどちらでもない人々だ。」とあるそうです。哲人は「この時あなたを嫌う1人の人に注目するのか、あなたのことが大好きな2人に注目するか、それともその他大勢を見るのか。人生の調和を欠いた人はあなたのことを嫌う1人だけを見て世界を判断している」と述べており、個人的にすごく納得しました。そして、この考え方をしていると自分も苦しいし、周りにいる人も特に自分を大好きでいてくれる2人をも不幸にしてしまうな、と思いました。

また、課題の分離にも出てきた「他者は変えられない」という前提に立つと、いかにこの自分を嫌う1人に注目するのが馬鹿らしいことかと気づかされました。

4.まとめ&感想

この「課題の分離」、「横の関係」、「人生の調和」はアドラー心理学がいう真髄ではありません。アドラー心理学の真髄は自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献だと哲人は言っています。私が上記であげた3つはこのアドラー心理学の真髄に到達するまでの意識づけ(勇気づけ)方法の一部で、私がこれから自分に意識づけて行きたいと思った内容です。

真髄の3つは私の言葉で要約するのはおこがましいですが、私の解釈では

今の’平凡な自分’が存在していることに価値があると受入れ(自己受容)、他者は敵と見ず仲間としてまずは無条件に信頼し(他者信頼)、自分に価値があると思えるためにも’仲間’への貢献をする(他者貢献)ということなのかなと思います。

個人的にこの真髄部分はそれぞれが連鎖的に繋がっていて、完全に理解するのはまだ難しいので、まずは深く納得できた3つを日頃から意識していこうと思います。

アドラー心理学では「他者は変えられない」という前提なので、例えばうつ病のカウンセリングでも「カウンセラーは治す手助けはできるが、うつ病そのものを治すことはない」とはっきり割り切っています。本書で哲人がそれを述べた時に青年が「なんて冷たいんだ!」と反論をしています。皆さんの中にも同じように思う人もいるかもしれません。

しかし、過食症、適応障害を経験した私でも、この哲人の意見に「その通りだな」と思えました。渦中にいる時の自分はすごくすごく苦しいんですが、完治したと言える今から思えば「あれは自分で自分を苦しめてただけだな」と感じます。その自分を直すのは他でもなく自分の考え方であり生き方だと真摯に教えてくれるのがアドラー心理学であり、冷たい理論では全くないのです。もし今、過食症やうつ病に悩まれている方がいたら是非このことに気づいて欲しいなと思います。ちなみにアドラー心理学をきっかけに催眠療法に辿り着き、長年のうつ病を克服した方が描かれた漫画も是非読んでみてください。

7年前の私はこの本を少しだけ読んで「この青年はネガティブすぎるし、この哲人は理想論すぎるなぁ」なんて思って途中で放棄してしまったのを今回読んでいる途中で思い出しました。しかし今回読んでいて、青年と今の自分が完全に重なりました。本の最終段階で青年が哲人の一貫した理論に感服して、「もっと早くこの考え方を知りたかった!」と嘆くのですが、私も全く同じことを思ってしまいました。その青年と私に哲人が「それは違います。あなたはこの話を’いま’聞くべきだったのです」という返答をしたのです。これがすごく胸に刺さりました。

この7年の間に過食症と適応障害を克服し、アメリカのアジア人ヘイトクライムの増加のニュースを見て外に出るたび周りの人が「敵」に見えつつあった「いまの私」だからこそ、この本の青年の言っていることも、哲人が言わんとしてることも分かったのだと思いました。長くなってしまいましたが、「少し読んだけど合わなかった…」という人がまた読んでみようかな、と思ってもらえたら嬉しいです。

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